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大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1111号 判決 1968年11月30日

控訴人 平松新八

右訴訟代理人弁護士 下村宗二

被控訴人 松原義隆

右訴訟代理人弁護士 野本豊

主文

一、原判決中控訴人敗訴の部分を次のとおり変更する。

二、被控訴人は控訴人に対し金四二万一、九五九円及びこれに対する昭和三一年六月一八日からその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、控訴人その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その一を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。

五、この判決第二項は、控訴人において金一〇万円の担保を供するときは仮に執行できる。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人は控訴人に対し金五三万九、二九八円及びこれに対する昭和三一年六月一八日からその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

控訴人が当審において訂正変更した請求原因事実及びこれに対する被控訴人の答弁は次のとおりであり、当事者双方のその余の主張及び証拠関係は、次に付加訂正するほか、原判決事実摘示(原判決四枚目表九行目から同裏一一行目まで及び五枚目表五行目から六枚目裏六行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

(控訴人の請求原因)

一、控訴人は和歌山県東牟婁郡古座川町洞尾九四一番地山林一二町歩を所有していたところ、被控訴人は昭和三一年二月頃右山林内に生立する控訴人所有のかや立木三〇本及び杉立木一一三本を勝手に伐採し控訴人の所有権を侵害したものであって、被控訴人は右不法行為により控訴人が蒙った損害を賠償すべき義務がある。

1  かや立木三〇本伐採による財産的損害

元来かやは碁盤、将棋盤の用材として珍重される高価な特種材である。本件かや立木は右伐採当時においても金五〇万円以上の価値は充分にあり、一〇余年を経過した昭和四三年九月当時においては右以上の価値があるものであるが、被控訴人の右伐採により控訴人においてその伐倒木を訴外柿本正治に売却処分した際には相当腐朽して価格が低下し、金一八万円で売却できたにとどまった。そこで控訴人は少くとも右金五〇万円から金一八万円を控除した残額金三二万円相当の得べかりし利益を失ったものである。

2  杉立木一一三本伐採による財産的損害

杉立木の通常の伐採適期は植林後少くとも満三五年であり、本件杉立木は伐採当時二二年生であったから一〇余年を経過した昭和四三年九月当時においてはほぼ伐採適期に達したものである。本件杉立木が右時期まで生立しており伐採売却したとすれば、少くとも石数において六七、八石(一本当り六斗)代金において金一七万九、五七〇円(一石当り金二、六五〇円)の価値があったものであるが、被控訴人の前記伐採により控訴人においてその伐倒木を処分した際には相当期間の放置のため前同様価格が低下し、金三万三、〇〇〇円の価値しかなかったから控訴人は右金一七万九、五七〇円から金三万三、〇〇〇円を控除した残額金一四万六、五七〇円相当の得べかりし利益を失ったものである。

3  本件伐採による精神的損害

控訴人としてはかやにしろ杉にしろ将来莫大な価格になることを楽しみにしてその生長を待つことあたかも親の子供を育てるがごとき愛情をもって大事にしていたものであり、とりわけかやについては子供らにも伐ってはならぬことを書とめておくなどし、永年にわたり家宝のように愛着をもっていたもので、被控訴人が勝手に伐採したことによって財産上の損害の賠償によっては償われ得ない甚大な精神上の苦痛を蒙った。古座川地方では炭木として雑木林を売却する場合かやは特種材としてその中には含まれないということが常識で何人も知っており、伐らないことは習慣として残っている。被控訴人としてもそのようなことを予見し得たものであるから、前記伐採により控訴人の蒙った精神上の苦痛に対する慰藉料として金一〇万円を賠償すべきである。

二、よって控訴人は被控訴人に対し以上の1ないし3の合計金五六万六、五七〇円から原審において認容された金二万七、二七二円を控除した残額金五三万九、二九八円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和三一年六月一八日からその支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被控訴人の答弁)

三、控訴人主張のかや立木三〇本及び杉立木一一三本を被控訴人が伐採したことは認めるが、被控訴人が勝手に伐採し控訴人の所有権を侵害したことは否認する。その損害額は争う。被控訴人において伐採のかやはすでに一〇〇年を経過し伐採適期にあったものであるから精神的苦痛に対する慰藉料を認める必要がなく、いずれにしても慰藉料の金額を争う。

(当事者双方のその余の主張事実)

四、1 控訴人

本件かやの伐倒木で碁盤が作られ売却された事実がある。すなわち訴外柿本正治は前記のとおり控訴人から本件かやを買受けて串本工作所の訴外南直吉に碁盤三八個、将棋盤八〇個を作らせ、碁盤は一個三万円から一万五、〇〇〇円将棋盤は一個五、〇〇〇円から三、〇〇〇円で他へ売却している。

2 被控訴人

右控訴人主張の事実は不知、原判決六枚目表六行目に「原告において贈与を受け」とあるのは訴外岡崎春児が本件かやの伐倒木の引渡請求権を放棄した趣旨である。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、被控訴人が昭和三一年二月中控訴人主張のかや立木三〇本及び杉立木一一三本を伐採したことは当事者間に争いがなく≪証拠省略≫を総合すると、控訴人は昭和二三年頃その所有にかかる本件山林内の杉、檜立木約二、五〇〇石及び製炭用雑木全部を訴外橋本春児の仲介で代金五三万円で訴外谷畑材木商店に売却したこと、右売買についてはかや、もみ、とが、けやきは除木として売買の対象となっていなかったこと、右谷畑商店は右杉、檜立木を伐採搬出したが、製炭用雑木についてはこれを伐採せずに放置し昭和二四年頃右仲介人橋本に仲介の謝礼として贈与したこと、控訴人は右橋本とは眤懇の間柄でもあり約束の伐採期間は経過したが、その返還を求めることなく植林の必要上早急に伐採するよう督促していたところ、同人はこれを昭和二九年八月頃訴外久保安次郎に金一五万円で売却するとともに本件山林上部の嶮しい部分の雑木についてもこれを伐採されたい旨申入れたが、右久保は製炭に必要な水の便が悪く採算がとれないため右橋本との売買契約を合意解除し、また前記上部の雑木については架線で搬出しなければならないような困難な場所でこれまた採算がとれないためその伐採を断念したこと、被控訴人はその後昭和三〇年三、四月頃前記橋本から前記経過により伐り残されていた製炭用雑木を金六万五、〇〇〇円で買受けてその伐採に着手するとともに前記久保が伐採を断念した上部の雑木を自然生の松及び杉、檜の立木とともに同年九月頃控訴人から金一万円で買受けたこと、被控訴人は冒頭認定の伐採後控訴人に対しその非を認め、他に所有するかやの山林との交換を申し出たこともあったが、その後態度を変えるに至ったことをいずれも認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫≪証拠省略≫は前記上部の伐採困難な場所の雑木の売買に関する証書と認められるから叙上認定の妨げとならない。そうすると本件かや三〇本は被控訴人買受の雑木中に含まれておらず、被控訴人は控訴人に無断でその所有のかや三〇本を伐採したものというべく、控訴人に対しその責任を負うべきは当然である。

次に杉立木一一三本については被控訴人も控訴人の承諾を得ずに伐採していることを自認しており、原審鑑定人中田増一郎、同天野進の各鑑定の結果によっても適当な間伐と認めがたいのであるから、被控訴人はこれについても控訴人に対し責任を負うべきものである。

二、そこで進んで損害額について考察する。

1  かや立木三〇本について

≪証拠省略≫を総合すると次のとおりの認定及び判断をすることができる。

(イ)  かやは碁盤、将棋盤の用材として珍重される高価な特種材であり、現在一〇尺ないし一一尺廻りになれば柾目の碁盤がとれ、一本で金一〇万円の価値がある。

(ロ)  被控訴人が伐採したかや三〇本は目通り七尺ないし八尺のものが八本あり、その他は目通り二、三尺のもので、木自体は立派なものであった。しかし伐採後一年半余り現場に放置して雨ざらしとなって腐った部分もあり、乾燥するとひび割れの危険もあって、半分程は使えず、本もやわらかになっていた。控訴人は昭和三二年九月二四日訴外柿本正治に右の全部を売却したのであって、最初控訴人は代金を五〇万円と主張したが、柿本は右の事情から減額を求め、一旦金三〇万円で売買契約が成立し手付金一〇万円を支払った。しかしその後製材してみて思ったよりよい物がとれなかったとして交渉の末代金は一八万円に改められた。柿本は製材の上、訴外南直吉に加工賃約一五万円を支払って、碁盤三八面、将棋盤八〇面を製作させ、これを売却し、碁盤だけで約七七万円の売上げがあったほか、かやの製材板は防水用に好適であるので、残った木を五分板、七分板に引いて売却した。若し右のごとく腐っていなかったら更に一〇ないし一三の碁盤がとれており、製品全部の品質も更に上等となった筈である。

(ハ)  右三〇本の内訳は前記のとおりであって、伐採当時いまだ伐採適期に達していないものが多数含まれていたのであり、将来優秀な木に成長することは当然見込まれるところであるから、この段階で伐採してしかも雨ざらしになったものの売買価格に比べると、不法伐採の事故がなく、生立したままで評価すれば、格段の差異があることは容易に考えられる。

(ニ)  伐採後の処理がこのように遅延した原因としては、被控訴人の依頼によって訴外和田勲がその身代りとなって起訴されたが、同人が途中で心境を変えて真実を述べ、今度は被控訴人が訴外原正明の行為であると証言し、結局和田は昭和三一年一二月一三日串本簡易裁判所で無罪の言渡を受けた経緯もあるので、右のごとく延引したことにつき控訴人側に責むべき節があると謂えない。

(ホ)  以上のとおり考えてみると、控訴人が本件かや三〇本の伐採当時の時価を五〇万円と主張するのは、むしろ控え目であるとさえ考えられる。

してみると右五〇万円から控訴人がこのかやを前記処分して得た金一八万円を控除した残金三二万円が控訴人が賠償を請求し得る損害となる。

2  杉立木一一三本について

≪証拠省略≫をあわせ考察すると、本件杉立木一一三本が現在なお生立していたと仮定した場合ほぼ三二、三年生で伐採適期に到達しているとみられること、控訴人は被控訴人が伐採した右杉立木と同種の本件山林内の杉立木約一、五〇〇本、石数にして一、〇八九石を昭和四三年二月頃訴外浜口繁雄に金二八八万五、八五〇円で売却していること、本件杉立木は本件山林の下の方に生立していたもので上の方のものと比較して生育がよいとみられること、被控訴人の伐採により控訴人においてその伐倒木を処分した際には本件かやと同様約一年半の放置により価格が低下し金三万三、〇〇〇円の価値しかなかったことをいずれも認めることができ、右認定に反する証拠はない。そうすると本件杉立木がほぼ伐採適期である現在まで生立していたとすれば、その価格は、前記同種の杉立木売買の事例から積算すると、一本当り少くとも六斗、したがって一一三本で六七、八石に生長していたものというべく、石当り金二、六五〇円として合計一七万九、五七〇円(正確には金一七万九、六七〇円であるが控訴人主張の金額とする。)となる。してみると伐採当時の時価はその後現在までの一二年間年五分の中間利息を控除した残額金一一万二、二三一円となり、これより控訴人がこの杉を他に処分して得た金三万三、〇〇〇円及び原審で認容された金二万七、二七二円を控除した残金五万一、九五九円が控訴人において当審で賠償を請求し得る損害となるわけである。

3  慰藉料について

一般に財産的侵害に伴って精神的損害を蒙ったとしても、財産的損害の賠償を受けることによって精神的損害を十分償いうるのであるから、とりたててその精神的苦痛に対する慰藉料を認める必要はないと解される。しかし時としては単に財産的損害の賠償だけでは到底慰藉されない精神的損害を蒙る特別の場合もありうるのであって、深い愛情をもって大切に育て上げた動植物を死に致らしめ、あるいは伐採したりしたときには、被害者はたとえその時価相当の賠償を得たとしてもなお払拭し難い精神的苦痛を受ける場合のあることは当然である。≪証拠省略≫によると、控訴人が本件山林を買受けたのは大正五年であって、右伐採事故まで約四〇年を経過しその間特に本件かやについてはその生長を楽しみにし深い愛着をもっていたこと、古座川地方ではかやは碁盤の用材として珍重され製炭用雑木の中には含まれず特種材として伐らずに残すことを通常とし、このことはもとより被控訴人の予見しうべきところであったことが窺われるから、被控訴人は控訴人が本件各伐採により、父祖伝来の山林を伐採された場合ほどではないにしてもこれと大差のない精神的苦痛を受けたものとして、その慰藉料を支払う義務があるといわねばならない。しかして前記認定の諸般の事実を参酌すると被控訴人の支払うべき慰藉料額は金五万円とするのが相当である。

三、次に被控訴人は本件については串本簡易裁判所の調停において円満に解決し、控訴人が本訴を取下げることを約した旨主張するが、≪証拠省略≫によっても到底これを認定するに足りないし、他に何らの証拠もないからこの点の主張は採用できない。

四、以上の次第であるから控訴人の本訴請求中当審において認容される金額は前記二の1ないし3に認定の合計金四二万一、九五九円及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三一年六月一八日からその支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金であり、これと趣旨を異にする原判決はこの限度において変更すべきである。よって訴訟費用の負担につき起訴当時の訴額その他諸般の状況を考慮し民訴法八九条、九二条、第九六条、仮執行宣言につき一九六条一項を適用して主文のように判決する。

(裁判長裁判官 沢井種雄 裁判官 知識融治 田坂友男)

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